なら思春期・ 不登校支援研究所

2.「家族全員元不登校児だということ」 Sさん

 夫は元不登校、私も上の娘も。現在下の娘も不登校なまま中学を卒業し、高校生になりました。この原稿を書くのに『さていったい誰の不登校をかこうかなぁ』と悩んだのですが、せっかくなので「不登校」という共通のワードで、家族全員のことを書いてみたいと思います。もしかしたら、私自身「不登校」ということの捉え方が人とは少し違っているかもしれませんが、そういう考え方の人もいるのかと読み進めていただければと思います。
 まずは長女から。現在大学2回生。心理学の勉強をしている彼女は、幼稚園の頃から行き渋りが始まり、小学2年生の時に教育相談を受け、受診。自閉症スペクトラムと診断されました。特に、聴覚情報が多すぎると処理しきれずパニックを起こし体が固まること、誰かがほかの子に意地悪をしても自分のことのように心が痛むこと。何をやっても自分はうまくいかないと思っていること。しんどくなるとハサミで何かを切ること、それは紙だけでなく髪もスカートも机も。問題行動はいろいろです。宿題の漢字練習がしんどいようで、小学3年生の頃は半紙に筆で一枚に一文字ずつ書いて提出していました。小学4年生では、完全に学校がしんどく登校できなくなり、最終、保健室登校。校長先生に「困りますね。養護教諭は養護の仕事をするのであって、おたくのお子さんの指導をするためにいるのではありません」とも言われました。小学5年生で別室登校。小学6年生で特別支援学級に入級し、卒業の頃には少し教室に馴染めるようになりました。彼女が学校を休む日は家事をするように伝えてあり、私が仕事から戻ると完璧に家事をこなしていてご満悦でした。長女の言動はユニークではあるけれど、彼女自身当時は『自分は人と違ってかっこいい』と思っていたらしいし、私も親として困るということは彼女に対してはありませんでした。中学に入って部活が楽しくなり、小学校よりは登校するようになりました。でも何事もまじめにこなしたい長女は、部活をまじめに参加しない先輩にいらだちはじめ、関係性が悪くなり、また登校を渋るようになりました。中学2年、3年のクラス担任の先生のお力添えもあり、彼女が自分で高校を選んで受験することを協力して支えることができ、公立高校に入学しました。高校は部活も楽しく、毎日ゴミ拾いをしながら、特に高2、高3は皆勤で登校しました。英語も、中学校の頃10点前後だったのに高校では93点を取るようになり、誰が何をしたわけでもないけれど勉強も楽しかったようです。生き生き勉強し、生き生き文句を言い、生き生きゴミ拾いをする長女には、たくさん笑わせてもらいました。
 長女のことを義母に話していたら「実は、○○(夫)も不登校やったんや」と言われました。夫からは全く聞いたことがなかったのですが、夫は長女ととても良く似た状態で、当時は発達障害など周知されていなかったため、義母があらゆる病院に連れて行き、相談をしていたそうです。夫は、高校入学時に内申点がなかったため私立高校へ入学し、そのあと短期大学へ入学。特に短期大学へは行き渋ることはなく卒業し、就職。同じ会社で営業職を28年続けています。我が家の大黒柱です。
 次女は小学校へは何も問題なく登校していました。でも、中学校に入り部活を途中で退部してから、学校へ行かなくなりました。朝起きることができませんでした。病院を受診すると「起立性調節障害」と診断されました。病院の先生に「自律神経が調整しづらい体質の人がいて遺伝しやすいんです。ね!お母さんもそうだったし」と突然話を振られびっくりしました。私も同じ状態だったけど、なぜ先生は見抜いたのか?と思ったからです。次女は赤ちゃんの頃からなかなか眠らない子で、夜眠れない、朝起きることができないということが繰り返されていました。コロナ禍で登校制限されていることが彼女の今後の生活にどう影響するのかなと見守っているところです。
 先程、私も起立性調節障害と書きました。当時受診はしていませんでしたが、きっとそうだったと思います。高校生の頃、両親が家に帰ってこなくなり、一人っ子だったので一人で過ごすことが多くなりました。どちらかが帰宅するかなと待っていたら、眠れなくなり朝起きることができませんでした。
 夫は、自分自身が困ったから、『子どもたちは毎日必ず学校に行かないと困る』とイライラしていました。でも、不登校経験のある私たちが不登校を受容できないのは、自分自身の不登校経験も受容できないことになる。「あなたもあなたのままでいいから、子どもたちも子どもたちのままでいいやんか」と夫に言ったあたりから、彼も自分を受容できるようになったのかもな、と思います。
 学校に行きたくなれば勝手に学校に行く。行きたくないと決めて、家に居るということを選ぶ。その結果は自分で受け止める。子どもたちには、自分らしく生きる力を見せてもらっているなぁと思います。「不登校」をしていたことが肩書に、ステイタスになる時代になったなぁと思っています。しかし「登校」していたことがステイタスにはなりません。それは一般的に当たり前のことだからだろうなと思っています。「不登校」であることも当たり前になって、肩書にもステイタスにもならない時代を作っていくために、親として、かつての当事者として、どういうことができるのかなぁと思っています。不登校であろうがなかろうが、自分らしく過ごすうちの家族。コロナ禍でもそれぞれ自分らしく家で過ごし慣れているのを見て、なんか愉快だなと思いました。日本の学校教育の制度が自分たちには合わず、学校とのやり取りではなかなか泣かされましたが、私たちが思う以上に「社会」のほうは寛容なのかもしれません。
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