なら思春期・ 不登校支援研究所

6.「親の学び」  Sさん

  活発で、男女問わず友達がいて、弟の面倒も上手にみる頼りになる娘が、中学2年生の夏から不登校になりました。私の不安から、登校を強要し、行かせる為の脅しとして、「こんな事してたらこんな風になってしまうよ」等の言葉を娘に投げかけ続けていましたが、声は届かず、娘はYouTubeで幼児向けアニメを夜中も見続け、それを取り上げ、配線を抜き、使えない様にすると、娘は「返せ返せ」と夜中に大声でわめき、まるで人が変わったようでした。それでも「出て行け」「学校へ行け」と外に出したりしていました。その末に娘はぬいぐるみを抱えるようになりました。それを見て、やっとやっと私は自分のやり方は違うと気付きました。
 間違ったやり方を変えたいけれど娘との向き合い方が分からない。不登校、子育ての本を読み出し、「ASU」を知り、親の会を教えてもらい、通い始めました。そこで、いろいろな経験談を聞き学ぶ中で、一つ決めた事は、私がしてほしい事を一切言わず、娘がして欲しいと言った事をすぐするということでした。娘が学校へ行かないのも、昼夜逆転しているのも、弟に暴言を吐くのも、YouTubeやテレビを見放題しているのも受け入れ、否定せず、意見せず、娘がしてほしいと言った事は、今は無理とか言わず、すぐにする。例えば、娘の目の前にあるタオルでも、「ママ取って」と言われれば取って、「はいよ」と渡す等を続けました。そんな時に観た不登校を扱ったドキュメンタリー映画の中で、私と同じようにお子さんと向き合っている母親に対して、インタビュアーが「なんだかお母さん、家来みたいだね」と言ったのを聞いたお子さんが「お母さんは家来じゃないよね。味方だよね」と言うシーンがあり、ハッとしました。私も自分が召使いみたいと思っていたけれど、子どもは味方でいてほしいんだと。父親にも本を見せたり、親の会での事を話したりし、私の考えを半信半疑ながらも尊重してくれ、私と同じやり方で娘と接してくれた事はとても心強かったです。
 やがて見ていたYouTubeの内容が、幼児向けアニメからお菓子作り動画へと変化しました。昼夜逆転している夜中にお菓子を作り、朝起きるとテーブルにドンと手作りお菓子が置いてあります。一緒に食べ、「美味しいよ、作り方は?」と話をしました。これが毎日続きました。今度は「一緒にエクササイズしよう」と言われ、一緒にしました。娘の方が上手で「上手いねー」とほめます。ご飯は「和食にしてほしい」と言われ、これを毎日続け、ダイエットが成功しました。12月には大掃除をする私を見て、散らかり放題だった部屋を断捨離し、スッキリさせました。一つ一つパワーが貯まっていく感じがしました。
 年が明けて、カフェやらショッピングやら2人で出かけることが増えました。思えば、娘と2人きりで食事や買い物、遊びに行った事がほとんどなかった事に気付きました。いつも弟達が一緒でした。2月になると、娘が「USJに行こう」と言いました。弟達も置いて2人で楽しい所に遊びに行くような事はしてこなかったので、行ってあげようと思いました。父親やおじいちゃんにも協力してもらい、みんなが学校に行っている日、早朝5時から夜の10時頃まで娘と2人で出かけました。娘の方が楽しみ方を知っていて、初めて来た私に、「ママこれ面白い!こっちこっち!」と案内してくれ、並んでる間には、自分で作ったおにぎりを「食べよー」とくれたり、私に喜んでほしいというオーラをひしひし感じました。実際、私はとてもとても楽しかったのです。学校へ全く行かなくなって5ヶ月たっていました。元気になってきているけれど、昼夜逆転の生活は相変わらずでぬいぐるみも抱えていました。
 4月、新学年の始業式前日の夜、「明日、学校へ行くからスカートの裾あげしてほしい」と言われました。息が止まりそうでした。喜びたい気持ち、驚く表情、何で行く気になったか聞きたい気持ち、全部抑えて、「わかったよ」と言いました。今思い出しても胸がギューとなります。翌日、昼夜逆転したまま朝を迎え学校へ半年ぶりに登校したのですが、その日は兄の高校入学式で私の方が先に出かけ、「行ってらっしゃい」とは言ってあげられませんでした。帰宅後、娘の部屋に行くと、制服は脱ぎ散らかされ、ベッドの布団を深くかぶって眠っていました。この日から3日行って3日休む、一週間行って一週間休むなど、自分のペースを試しているようでした。学校復帰について「子どもはある日突然、急に元気になる訳ではない。行ったり行かなかったりしながら少しづつ慣れていき、体力・気力も回復していくと、半年後、一年後には元気になっていきます。しばらく家に居た子どもにとって、まだまだリハビリ期間。いきなりマラソンに参加したら、息切れは当然。少しずつ少しずつ見守ります。疲れて帰ってきた時、ホッと出来る温かい家庭、美味しい食事が何より元気の素」という文章を読み、焦りから娘のことが分からなくなりそうな時に安心感をもらいました。
 夏休み中、「夜10時以降はリビングを明け渡して」と言われました。これに家族みんなが協力、10時にはリビングを去るようにしました。そこからは、娘の好き放題な自由時間です。テレビの前にお菓子、鏡の前には一人ファッションショーで洋服脱ぎ散らかし、キッチンは自分の食べたい物を作った汚れた物が沢山残されている状況でした。しかし、その片隅にやりかけの夏休みの宿題が散らばっていました。
 9月、順調に休まず学校へ行き始めましたが、冬になって、ぬいぐるみが離れている事に気づきました。学校から帰ってすぐ寝て、夜中起きだし、そのまま徹夜で学校へ行くといった生活リズムでした。
 4月、中3の受験生となり、始業式から順調に行けていました。ところが、ゴールデンウィーク明けから小学生の弟が、さらに高2の兄が学校に行かなくなりました。それまで娘の事で頭がいっぱいだった私は、我が子一人一人を、考える、向き合う、見守る事になりました。今まで自分が優先的に考えてもらえていた娘の心はどんな様子になるのか、私は気がかりでしたが、運動会のダンスの係などをしてイキイキ楽しく行っている様子でした。楽しんだ運動会後はプツっと糸が切れた様子もありました。ただ、学校を何日か休む、お昼から遅刻して学校へ行く、朝から学校へ行くなど、自分のペースを守りながら、周りの目を気にせずにやっていく姿は逞しくなったと感じることでもありました。勉強しないことや昼夜逆転していることや夜遊びなど、なかなかすんなり受け入れられないことですが、それも子どもの自己決定だと尊重する事で子どもは回復し、自信もつき、前に進んでいくんだと今は理解できます。
 その後、娘は勉強が厳しくなく、部活もそれほど盛んでない、アルバイトがOK、制服が可愛いという理由で選んだ高校に入学し、その夏にはカラオケのアルバイトを始めました。受付の対応をし、オーダーを取り、フードメニューを作り、片付け、タクシーの手配などの作業をこなしていました。中学時代、美容室でオーダーを伝えるのすらすごく緊張していた娘の姿を思い出して、すごく逞しくなったと感じました。子どもの自己決定の先には逞しさが待ってると実感しました。高2になった今では、勉強はめんどくさいと言いながらも、ちゃんとテストは受け、中学時代はオール2だった成績が、平均点以上の結果も出す様になりました。アルバイトの大学生にスノボやドライブなど連れて行ってもらったり、その為に学校を休んだりもありますが、それも娘の自己決定と思い、欠席の連絡を入れました。
 不登校になるまでは、やるかやらないかの0か100かだったのが、今、自分のペースを自分で選び、楽しんでいる逞しさがあります。こうあってほしいと思う理想像に合わない事をする娘を否定してきました。それは娘の為と思っていたけれど本当は私の為だったんだなと今思います。
 私は、そんな娘と向き合った時間で多くを学んだはずなのに、親って子どもの為という名の正論のナイフが好きなのか、正論で弟に向き合ってしまいました。弟は娘とは逆にすごい反抗や、ぬいぐるみ抱えなどもなく友達とも毎日の様に遊んでるので、ついこっちの頑張らせたい想いから口出ししてしまった事が、子どもの自己決定を潰してしまい、なかなか自信も回復せず前に進んでいかないんだと2年経ってようやく頭じゃなく心で理解してきました。弟は、一斉登校が始まり再び学校へ行かない選択をしています。昔の私の娘とのやりとりを見習って、子どもの自己決定(親の都合良くないものでも)を尊重し見守ってサポートしていくつもりです。
 学校へ行かなくなり朝起きないヒゲ面の大きくなった長男に、小さい頃1番、手も心もかけてあげられなかった想いから「よしよし」しました。寝たふりしていたけれど、それを続け、してほしいと言われた事をする生活が続いた後、自分のペースで学校に行き始め、今はコロナ対策のオンライン授業が性に合ってる様でパンツ一丁で毎日授業を受けています。
 弟は自分のペースを探し中だと思います。まだまだ周りの目が気になり、自分のペースで過ごせない。それは、私が弟のありのままを受け入れた後に自分でいいんだと気づけ、自分のペースで過ごせる様になるんだと思います。子どもたちを信じ、受け入れ、これからも見守り続けていくつもりです。
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