なら思春期・ 不登校支援研究所

4.「娘の3度の学校復帰宣言」  Mさん

 現在、中学3年生の娘が「今日だけ学校を休ませて」と言い学校を休んだのは、小学5年生の7月12日。前日に友達と地元の夏祭りを楽しんだ翌日でした。その「今日だけ」が小学6年生の8月まで続くこととなりました。1学年90名位の規模の田舎の小学校では、突然不登校になった娘の事はおそらく、学年のほとんどの子と親が知っていたことと思います。当時、親の私には、まわりの哀れみの視線が突き刺さっていましたが、「大丈夫よ」と作り笑いをするのが精一杯の状況でした。
 娘が学校に行かなくなってすぐの時は、親の私は原因探しに明け暮れていました。子が不登校になった経験のある方が経験する、ネットで不登校について検索する、不登校関連の本を読むなどをし、不登校になる気持ちを理解しようとしつつも、どうにかして娘を学校へ行かせようと説得する日々でした。これまで、親の意見を素直に聞いていた娘だったので、母親の私が説得すれば必ずわかってくれるはず。当時は本気でそんなことを思っていました。それに反し、娘の方は、私が頑張れば頑張るほど、元気がなくなり、幼児返りのような状態になりました。暗闇を怖がり、寝る前も電気を消したがらない、寝るのもお風呂も母と一緒、仕事中の母の携帯電話に頻回に電話をかけるなどの行動があり、やがて学校どころか、全ての人間関係を断ち、誰にも会わず、家にひきこもってしまいました。
 当時の私は、明るい光の中から娘がそれてしまったように感じ、このままでは娘の居場所がなくなってしまうのでは…という不安に襲われていました。娘は学校では責任ある役割を任されしっかり者と言われていたので「あなたを必要としている人がたくさんいる。居場所はたくさんあるじゃない」と必死に説得しましたが、そんな事をしても娘が動くことはありませんでした。
 娘は夏休み直前に休みだしただけだったので、当初は夏休み家でゆっくり過ごしたら自然と充電できるだろうと思っていましたが、その思いは崩れ、2学期からは本格的に完全不登校となりました。その頃私は「私の子育ての何が悪かったのだろう…」と思い悩むようになっていました。私はその答えが欲しくて、学校から紹介してもらい、市の臨床心理士のカウンセリングを受けるようになりました。娘はカウンセリングを嫌がった為、毎回私だけのカウセリングです。はじめは「何で私だけカウンセリングを受けるの?当事者は娘なのに…」と思っていましたが、カウンセリングを受けるうちに、自分の思いを吐き出す場として必要だという事に気づきました。そうやって私がカウンセリングを受け、心が落ち着いたことで、娘も少しずつ元気を取り戻していきました。娘はお菓子作りや料理をしたり、ビーズを作ったり、絵を描いたり、まるで好きなことを探しているような日々を送り続けていました。
 不登校になって3ヶ月後、娘に変化がありました。全ての関係を断ち切っていた娘が、一人の友達とだけ遊ぶようになったのです。その友達のお母さんと私は連絡を取り合う仲だったので、その頃は全ての事情を話していました。自分達親子にできることがあれば力になりたいと言ってくれていたので、私からは「今は娘に、学校に来てほしいという事だけは言わないでほしい」というお願いだけしていました。以前の私なら「学校にきてほしいと誘ってほしい」とお願いしたかもしれません。でもその頃には、私たち親が無理やり行かせるものではない、娘が笑顔で元気にしてくれてさえいればいいというように、子どもが自分で決めていくことを見守るという姿勢に変わっていたのです。
 さらにその1か月後の11月、私は娘から「これをみて」と1枚のメモを渡されました。そこには、弱々しい字で「お母さん、いつもごめんなさい。学校へ行きたいけど、行かれへん…」と書いてありました。この4か月間休んでいる間に、娘の中で様々な葛藤があったのだなと感じたので、私は「わかったよ。自分の気持ちを伝えてくれてありがとう」と娘を抱きしめ、泣きました。娘の前で涙を流したのは初めてのことでした。娘が自分の意志を伝えられるようになったこの出来事を忘れてはいけないと思い、私はこのメモを自分の手帳にずっと入れておくことにしました。4年経った今も、毎日手帳にいれています。私が当時も今も心がけているのは、娘の思いはそのまま受け取るということです。例えばここで「そうなの。そんなにしんどいなら学校に行かなくてもいいよ」というと確かに子は楽になるかもしれません。でもそれは親からの意見であり、行きたいけど行けないという自分の思いはスルーされてしまったことになると私は考えています。
 そこから私は、娘の気持ちをさらに理解したいと考え、不登校を経験したことがある20代の若者の話をきく機会があれば、出かけました。その若者たちはおばさんの私ともすぐに友達になってくれ、私の良き相談相手となってくれました。その若者たちのおかげで、私の価値観、世界が広がったと思います。今も何かある度によく相談しています。タテの関係でもヨコの関係でもない「ナナメの関係」というのを知ったのもこの頃です。「娘にそういうナナメの関係の人がいたらなあ」と話すと「僕で良かったらなりますよ!」といってくれた若者がいました。彼は週1~2回訪問しギターを弾いたり、弾かせてくれたり、ゲームを一緒にしたりし、娘はさらに元気になっていきました。関係性ができた頃に冬キャンプを企画してくれ、家族の一員のようにキャンプし、自然体験をしたのも良かったと思います。たまたま大雪になり、皆でかまくらをつくったのも良い思い出になっています。ひきこもっていた娘をキャンプに連れ出すのは、家族だけの力では無理だったと思います。雪合戦をしたり、外で元気にはしゃぐ娘を久しぶりにみることができました。
 そうやって娘はエネルギーがたまっていき、不登校になってから5か月後の12月に娘は学校復帰宣言をしました。決意の表れか、家庭訪問してくれていても全然会おうとしなかった担任にも5か月ぶりに会い、机の前に「学校に行きたい!」と書いた紙を貼っていました。けれど、いざ、当日の朝になると行けず…。6年生になった4月にも同じことがありました。自分で考えて行動したプロセスだけで充分と思い、親の私は落ち着いていましたが、本人の心には失敗体験として残っており、落ち込んでいた様子でした。親としてはどうしてあげたらよいのかわからず、寄り添っていることしかできませんでした。
 学校に行きたいけど行けない日々に転機が訪れたのは、小学6年生になり担任の先生が変わったことでした。新しく担任になったのは赴任してこられた20代後半の若い女性の先生でした。その先生は教師としてではなく、お姉さんのようなナナメの関係の人として接してくれました。その先生は沈黙を恐れず、娘が話すまで余計なことを言わず待つ姿勢がとれる先生でした。訪問してくれた時は、親は席をはずし、わざと2人だけの時間にして先生に任せる事にしていました。先生との関係性ができた頃に、音楽の好きな娘に先生が持っているトランペットを教室で吹こうと迎えにきてくれ、夜の教室に連れて行ってくれたこともあります。そうやって毎週担任の先生の家庭訪問を楽しみに待つ日々が続き、小学6年生の6月、娘から「学校へ行く」という3度目の学校復帰宣言がありました。ただ、今回はいつもと違いました。来週から行くというのではなく、9月1日から行くというのです。『世間的に1番しんどいと言われているその日に何で?』と少し戸惑いましたが、娘なりに考えがあるのだと思い見守ることにしました。そして夏休みに入り夏休みの宿題もはじめました。もちろん教わっていないので内容が分かりません。塾が必要だったら言ってねとだけ声をかけていましたが、「先生に教わる」とのことだったのでその旨を先生にお伝えし、先生に任せていました。先生は、夏休み中にわざわざ送り迎えをし、教室で勉強を教えてくださいました。おそらく、娘が教室に慣れるようにと考えてのことだったと思います。
 そして迎えた小学6年生の2学期初日(9月1日)の朝、娘は笑顔でした。不登校中に唯一つながっていた友達と共に歩いて登校していきました。事前に先生が、皆に登校することを伝えて、騒がずそっとしておいてもらったほうがいいかと娘に尋ねてくれていましたが、娘は「言わなくていい」と言ったそうです。なので登校すると案の定、他のクラスから見に来たり、駆け寄ってきて話にきてくれたりして人だかりになったと一緒に登校してくれた友達が教えてくれました。私は内心、もちろん心配していましたが、娘には根掘り葉掘り聞くことはせず、娘が話すことを聴くようにとどめておきました。
 娘の場合、1年という不登校の中では比較的早い期間(といっても私にとっては長かった)に、学校に行こうということに結びついたのは、担任の先生という頼れる存在が学校にもできたからだと思います。登校した直後は登校できたことで気持ちが高揚気味でしたが、それも長くは続きません。繊細で傷つきやすく、人間関係に悩みやすい娘は、その後も中3になる今まで、何度も休んだり遅刻したりしていますが、長期休みをすることは今のところありません。以前、不登校経験者の若者が「自立とは依存先を増やすことである」と教えてくれました。娘は、中学生になってからは保健室の先生を頼り、よく話を聴いてもらっているようです。これからも頼れる人が増えると良いなと思い見守っていこうと思っています。
 娘が不登校になってからは、親としては、学んだり、学校の先生やママ友などにお願いをしたり、たくさんの人を巻き込み実際にはものすごく頑張っているのですが、形としては、子ども側からみると、親は何もしていないのです。子は自分が頑張ったと思っている。それが理想だと私は思っています。子が大人になった時に、周りの大人がしてくれたことに気付き感謝する日がくればそれでいいと思います。
 子がある日突然不登校になると親まで孤独になりがちですが、不登校の問題は親子だけで解決できるものではないと私は実感しています。現在お子さんの不登校で悩んでいる親御さんには、まず自分の辛い思いを吐き出す場を見つけ、先輩ママや当事者の若者の話を聞いたりして、周りの人にSOSをだすことが大切だと思います。周りの人は助けてあげたくても自分からは言いにくいのです。今は相談機関もSNSを利用できたり、気持ちを吐き出す手段も多様になってきています。文字に書くことで心の整理ができるのならば日記を書くこともお勧めします。私がこんなにも月日など鮮明に体験談を書けるのは不登校日記をつけていたからです。書くことで自分の行動を振り返ったり、ほんの少しの娘の変化を感じることができました。親の心の状態は子に影響します。その為、親が孤独にならないよう、助けてくれる人はいると信じて頼っていきながら乗り越えていってほしいと願っています。
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