なら思春期・ 不登校支援研究所

5.「不登校を振りかえって」  Kさん

 私には高校3年生と高校1年生の男の子がいます。2人とも中学生のときに不登校を経験しました。長男は中学1年生の11月から突然学校に行かなくなりました。私はその事を受け入れることができず、毎朝学校にお休みの連絡をするのがとても苦痛でした。1ヶ月ほど過ぎた頃、家庭訪問に来てくださった担任の先生から「お母さん、しばらくお休みしてはどうですか?少しゆっくり休んだほうがいいかもしれませんよ」と言われて、初めて我が子が不登校なのだと気づきました。
 私が学生だった頃、不登校(あの頃は登校拒否といっていたかもしれません)の友達はほとんどなく、私自身も少しぐらい嫌なことがあっても学校に行ってるほうがいいと考えていたため、子どもが不登校になったことが全然理解できませんでした。そこで、まずは不登校について勉強しようと思い、不登校についての本を読んだり、講演会に参加したりしました。また、カウンセリングを受けたり、親の会に参加したりもしました。
 学校に行かなくなった長男は家でテレビと携帯ゲームばかり。最初の頃は私がパートに行く日はお弁当を作って置いていましたが、ある日、たまたま仕事が休みだった私が「昼御飯、何食べる?」と聞いたところ「唐揚げ」との返事が返ってきました。『えっ、昼から何でそんなめんどくさいもん作らなあかんねん』私は心の中で叫びました。作る気になれずダラダラしていると、長男がしびれを切らしたのか、「僕、作ろか?」と聞いてきました。小さい頃から料理のお手伝いをすることが大好きでしたが、さすがに唐揚げは作ったことがありません。「教えてや!そしたら作るから」と長男。そして一緒に唐揚げを作ったのですが、この事があってからお昼御飯を自分で適当に作るようになったんです。最初の頃は卵焼きや目玉焼き、焼いたウインナー、という簡単な物だったのですが、そのうち野菜炒めや炒飯、カレー、お味噌汁なども作れるようになり、今では家を出てもなんとか自炊をして生活していけると思うほどの腕前になっています。
 それでも家から出ることはほぼありませんでした。カウンセラーの先生からも「平日の昼間に外出しても全然大丈夫」と言われ、いろいろと理由をつけて誘っていたのですが、やっぱり後ろめたい気持ちがあったのでしょう。ところが、半年ほど過ぎた頃から一緒に買い物に行けるようになり、やがて小学生のときにお世話になった少年野球チームのお手伝いに行くようになりました。監督や保護者の皆さんから「ありがとう」と感謝され、「また手伝ってほしい」とお願いされ、自分も誰かの役に立っているという思いが芽生えたのでしょうか。今もそれは続いていて、試合の審判も任せてもらえるようになりました。
 中学3年生になり、知り合いや担任の先生から通信制高校のことを教えていただき、一緒に通信制高校についていろいろ調べました。中学3年生が対象の体験教室も通い、その通信制高校に入学しました。今は3年生になり、次の進路に向かって頑張っています。
 次男は長男が不登校になっていることに気付くと、毎日のように、「何で行かへんの?」「今日も行かへんかったん?」と聞いてくるようになりました。その度に「学校に行きたい気持ちはあるけど、行こうと思ったらしんどくなる」ということを説明しました。その次男も、小学校の卒業前に2週間ほど学校に行けなくなりました。頭痛や腹痛などの身体症状が出ていたので、無理をさせず見守ることにしました。それでも何とか小学校を無事に卒業し、中学生になりましたが、やっぱり9月から学校に行けなくなりました。長男は不登校になってから全くといっていいほど学校には行けなかったのですが、次男は週に1回のペースで放課後にプリントを取りに行くことができました。担任の先生も子どものために時間を作ってくださり、他愛ない話をして帰るという生活が卒業まで続きました。教室にはなかなか入れませんでしたが、修学旅行と卒業式には参加でき、体調がよければ定期テストも別室で受けられました。今は長男とは違う通信制高校に通っています。兄弟でも子どもによって状況が全然違うのだとつくづく感じました。
 子どもが不登校だったとき、中学校のPTA役員にくじで当たり、仕方なく引き受けました。広報部で行事の写真を撮りに行くと、皆楽しそうにしているのに我が子は参加できず家にいる状況ですごく辛かったです。でも、良かったこともあります。教頭先生が子どものことを気にかけて、いつも声をかけてくださったことです。役員が終わってからもお会いするたびに声をかけてくださり、担任の先生だけでなく先生方皆さんに支えてもらってるんだと思いました。
 また、不登校の子どもを対象に家庭教師をされてる先生を友達のお母さんから紹介してもらいました。この先生は勉強だけでなく、スポーツやイベント(長期休暇中の合宿やクリスマス会など)も企画され、コミュニケーションの苦手な子どもにいろいろと体験させてくださいました。講演会や親の会でよく『斜めの関係』という言葉がでてきます。縦の関係である親子では、子どもが反発したり、親の意図したことと違う意味にとってしまったりしてこじれそうになったとき、斜めの位置から先生に間に入って話をしてもらうこともありました。今でも相談にのってもらっています。
 子どもが不登校になっているときは本当にしんどいですよね。特に、不登校になってすぐの頃、子どもの不登校を自分が受け入れることができるまで、この時期が一番しんどかったです。私は、夫も協力的だったことや、親の会で経験者の体験談や先輩ママ達からのアドバイスを聞けたこと、カウンセラーの先生に愚痴を聞いてもらったことや同じ立場のママ達で励まし合ったことなど、本当にたくさんの方々に助けてもらい、支えていただきました。不登校になったからこそ出会えた人もいました。
 不登校の理由を探す方も多いと聞きますが、私もその1人でした。でも何が原因なのかわからず、もし分かったとしても時間は戻れません。自分の気持ちが落ち着いてくると、後ろばかり振り返ってもどうしようもないので、前を向いてこれからのことを考えたほうがいいと思いました。
 親の会に参加すると、勉強が心配、進路が心配という声をよく聞きます。私も最初はそう考えていたので、その気持ちはよくわかります。が、講演会に参加するようになって少し考えが変わってきました。それは「やり直しは何回でもできる」「遠回りしても大丈夫」という言葉を教えてもらったからです。長男は、ほとんど中学校の勉強をしていないので理解できていないところも多いですが、それでも何とか高校の勉強についていってます。必要にせまられ、数学などは中学校の復習をしていた時もありました。必要になればその時勉強すればいいのです。また、今は次の進路に向かって頑張っていますが、それは今考える目標に向かってです。目標が変われば、ある日突然違う進路に変更したいと言い出すかもしれません。その時は少し遠回りをしたと思い、新しい目標に向かって進めるように応援したいと思っています。次男もエネルギーがたまってくると、家庭教師の先生に勉強をみてもらっていました。何も言わなくても元気になると自分から動くのだと実感しました。
 私には私の人生、子どもには子どもの人生があります。不登校を経験して、子どもの人生は私の人生ではないということを考えさせられました。親として子どもが迷わないように、困らないようにと子どもより先に動いてしまいがちですが、それは本当に子どもにとっていいことなのでしょうか。私は、『困っていたり悩んでいる時にはいつでも相談にのる、助けてあげるよ』というメッセージをいつも発信していることが大切だと思っています。

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