なら思春期・ 不登校支援研究所

7.「いちばん大切なこと」  Yさん

  長女のTが学校に行けなくなったのは小3の2学期の終わり頃でした。2年まで仲が良かったお友達と離れ心細かった状態で、半年間意地悪されたのがきっかけでした。私は担任の先生にいじめた子への対処をお願いする一方、嫌がる子をなんとかなだめて、毎日学校に連れて行きました。先生はいろいろと対応してくださいましたが、子どもの心はもう限界だったのでしょう、2週間がすぎた頃、車の中で「学校に行きたくない」と私にものを投げて泣いて暴れました。私と夫は、今は疲れた子の心を休ませるしかないと悟り、私はフルタイムの仕事を辞めることにしました。子には、「インフルエンザになった子は元気になるまで休むでしょ。あなたは心がしんどくなっているのだから、休んで当然、なにも悪いことではない」と言いました。Tは、行かなくていいと言われて、ほっとしたようでした。3学期、Tは一切登校せず家でマンガとテレビ漬けの日々でした。不安な気持ちをまぎらわせたかったのか映画や買い物には行きたがったので、学校のある時間帯でも連れて行きました。朝一番の上映で、観客は私とTの2人だけ、ということもありました。
 4年生のクラスは、仲良しの子と同じクラスにしていただき、意地悪した子とは離してもらいました。Tは学校に近づくとひどい腹痛になる状況でしたが、新しい担任の先生が家庭訪問をして、カルタやゲームでたくさん遊んでくださり、先生のことが大好きになりました。仲良しの子が誘ってくれて、放課後に運動場に行く練習をするうちに、腹痛は徐々に治まってきたため、1学期は私付き添いで、お楽しみ会や理科の実験や遠足など、週に数時間ぽつぽつ参加しました。けれど、ストレスも大きかったのでしょう、帰宅後は家でひどいかんしゃくを起こしていました。夏休みの宿題はなんとか終わらせ、「2学期からは、国語と算数に毎日出ようね」と声をかけました。1学期少し行けたのだから、と私は期待し、本人も頑張りましたが、やはり無理をしていたのでしょう、9月の初めの2週間で力尽きて全く行けなくなってしまいました。このままだとTの履歴書は真っ白のまま。将来社会人としてやっていけるのか。こんなことになったのも、私がずっと仕事で子どもの気持ちを受け止めてやらなかったからだ、と親の私がノイローゼのようになり、毎日泣いていました。
 そんな生活が2か月続いた頃、藁にもすがる思いで地元の不登校の親の会に参加してみました。親の会は、不登校を経験した子どもを持つお母さん達が運営しておられ、今は元気に高校生活を送っている、お兄さんお姉さんのお話を聞かせてもらいました。不登校を経験しても、元気になっている子どもはたくさんいる。不登校が続いても小・中学校の卒業資格はもらえるらしい、その後は通信制や定時制高校、高卒認定試験など選択肢が増える、など先の見通しがたってくると、私の気持ちは落ち着いてきました。私は必要以上に元気になってしまい、学習の遅れへの不安から、子どもに毎日漢字と計算のドリルをさせるようになりました。
 ある時、親の会で「無理にドリルさせなくてもいいんじゃないですか。お母さんが不安だとお子さんも不安になりますよ」と言われ、そこでやっと目が覚めました。実は、学校以外の勉強をすることで自信がつくのでは、と4年になってから英語塾に行かせたり、タブレット型通信教育を申し込んだりしていたのですが、どれも続きませんでした。今から思えば、Tが自分から望んだわけでなく、私主導で始めたお稽古が続かないのは当然で、Tの気持ちはそんな勉強に取り組めるほど回復していなかったのです。
 私と夫は、Tの不登校を短期で解決することをあきらめ、「Tが居たいのであれば、何年でも家に居ていいよ」「勉強なんか、やる気になった時にやったらいいねんで」「家で本読んだり、ドラマ見てるのだって勉強だし、今のTはそれでいいねんで」とドリルも、お稽古も、子どもがしたくないものは、しなくてよい、と全部辞めました。すると不思議なことに私もTもだんだん元気になってきました。私は今まで足りなかった分、とにかく何年でも甘えさせようと決め、毎日ハグをしたり、「ありがとう」などポジティブな言葉かけをしました。4年の頃は毎晩読み聞かせをしていましたが、1人でどんどん本を読むようになると、寝る前にマッサージをしながら愚痴を聞くようになりました。夫は、休日にはTと公園で遊んでくれ、本好きなTに「学校で勉強してなくても、本さえ読んでいれば、知識も読解力もつくから大丈夫やねんで」と安心させてくれました。
 Tはやはり不安があるのか、いつもぬいぐるみを持ち歩き、アニメの録画を見ていることが多かったですが、家で週2~3回、仲良しの子と遊びました。友達と遊ぶことは何よりTを元気にしてくれました。5年からは好きな本のシリーズができ、「読む本があるって幸せ」「なんか達成感がある」と夏休み中に20冊以上読みました。その他、私はTと一緒に、ドラマのDVDを観たり、手芸をしたり、とにかくTがやりたがることをどんどんやりました。私はホームスクールの本を読み、欧米では学校に行かずに家庭で学習する子も多い事、ホームスクールのコツは子どもが興味を持ったことをどんどんさせる事だと知りました。そうして家でゆっくり、好きな事だけしたTはその後「自分の事、ちょっと好きになってきた」と言いました。
 中学生になってからも、引き続き不登校中のTですが、今では大人向けの歴史小説やミステリーにも手を伸ばしたり、犬のしつけの本を熟読して犬の世話をしたり、と元気に過ごしています。いろいろな事に自信が出てきたT。以前は「お母さんTのこと好き?」だった口癖は、今は「T、お母さん好き」に変わりました。いつからか、ぬいぐるみも持ち歩かなくなりました。進路で不安になる事もあるようですが「Tは好きな分野の勉強がしたいから大学には行くと思う。3教科で受験できる大学もあるし。高校はたぶん通信制にするかな」と言っています。
 Tが不登校になった当時、私はTの学力が遅れることへの不安、人間関係を築けないことへの不安でいっぱいでした。放課後、近所の小学生たちが遊んでいる声をきくと、悲しくなりました。でも少しずつですが確実に元気になっているTを見ているので、最近はそれほど焦ることはありません。今のこの子はこれでいいのだと思えます。
 不登校についての本をいろいろ読むうちに、世の中には5人に1人の割合でHSP(敏感な人)がいる事、そのような子には学校は刺激が強すぎる場合があることを知りました。振り返るとTはもともと敏感な性格で、保育園でも学校でも、怒られたくないという思いから、いつも先生の顔色を見て過ごしていたようです。そのうえ本来ならリラックスして休息するはずの家庭でも充分な甘えが足りない状態が続いていたのですから、遅かれ早かれ、不登校になっていたと思います。
 親の会に参加していつも感じることは、真面目な頑張り屋の子が、無理を重ねてしんどくなっているということです。そんな子に「もっとがんばれ」と声をかけるのは酷な事、でも以前の私はまさにそんな対応をしていました。
 私は、土日も仕事で、残業の多いサービス業で働いていました。私が仕事で忙しくいつも焦っており、Tにゆったり接してやれなかったこと、私のせいでTがこうなったという気持ちで自分を責めていました。でも、Tが不登校になってくれたおかげで、今では自分や、家族の心や体のケアをできるようになりました。一番大切な事は何か、子どもが気づかせてくれたと思っています。

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